母がリハビリ病院に転院したのが7月。そこから母の行き先を探すプロジェクトが始まった。自宅に帰る、が母の強い希望だったが、身体も弱りあの段差だらけの自宅に帰ると、まだ事故が起きる可能性が高い。春から鎖骨骨折、急性硬膜下血腫と大きな事故を2度起こし何とか健康を取り戻しただけでも奇跡的と言われている。色々な人に「え?まだ歩けるの?」「トイレも自分で行けるの!」と驚かれる。
が、母が留守の間に家を掃除したりしていて、母が1人でいる間に色んな業者にいいようにされていた。クレジットカードも沢山出来ていたし、色々な有料のサービスが設定されていて、なんだか分からずにハンコ押してたんだなあ、と思った。引き出しの中にはチャージ式の鉄道系のICカードが10枚以上あり、出かける度に忘れては購入していた事がわかる。母は電車に乗って出かける事が苦にならない人で88歳まで仕事をしていたこともあり、「私は東京でも九州でも1人で行ける」が口癖。ひっくり返せば、母が迷子になるのは近所ではなくとんでもない所まで行く可能性がある。
入院前は認知症も少し進んで物を無くしては周りに当たり散らす、ということもありちょっと困った事になっていた。財布の中にお金がない!あんたが取ったでしょ!とか、鍵を誰かが隠して行ったから出かけられない、とか。
しかしながら、母が自分を失った訳ではなく。意思はきちんとあるし、感情も普通にある。よく世間が言う、あの人呆けたんとちがうか!ボケてしまったんだね!
これだけ認知症と言う言葉が世間に知られているのに、ちゃんと理解している人の少ない事か!認知症になったから全く何もわからない訳ではなく、大半はわかっている。記憶する力判断する力が少しずつ欠けていく、のがこの病気だ。
それは、誰しも多かれ少なかれあること。あ、携帯忘れちゃった!やだわー、忘れっぽくて、と思っているあなた。その携帯忘れちゃったが頻繁になり携帯はバッグのポケット!と書いても書いても行方不明になる。そして、携帯なんか持ってない!と言ったりする。
専門的には病状や進行の違いが色々あるし医学的には正確ではないかもだが、大抵そんな感じで進んでいく。記憶す留守の力がないだけで、大半は普通だったりする。美味しい物を美味しいと感じたり、楽しい事をして笑ったり。
あの人はもうボケてしまった、と人間ではなくなったみたいな言い方をする人がいるが、全く何もわからなくなった人もいるにはいるが、それでも気持ちが良かったら笑うし、不快ならしかめ面をする。
母は会話している分にはほぼ普通に見える。でも、一人で置いておくのは危険だと思い、施設に入所してもらうことにした。もちろん、本人にも話をして、お年寄りが安心して過ごせる住宅があるけど、どう?と聞いたら、まあ、お金が許すなら行ってもええかな、と言っていた。
そして妹と私とで施設探しが始まったのが7月の後半。
まあ、時代は高齢化社会に向かっているのか、そう言う施設はいっぱいある。病院は積極的に紹介してくれなくて、斡旋業者を教えてくれた。そこにも色々調べてもらい、自力でも調べて10箇所以上の施設を見て、検討した。本来なら利用者さんがくつろいでいるリビングに行って話とか聞ければ良いのだが、残念ながらコロナのせいでかなわず。お風呂は週に何回入れるか?部屋の広さはどうか?レクリエーションはどんな事をしているか、日々の過ごし方はどうか?食事はどこで作っているか?看護婦さんがいるか?訪問診療をしてくれるか?
施設には特別養護老人ホーム、介護老人健康施設、サービス付き高齢者住宅、介護付き高齢者住宅、グループホーム、ケアハウスと色々あり(まだ、他にもある)公の特養、老健の2つは費用は安いが、特養は介護3からしか入れず、老健は自宅に帰るための施設だから短期の入所になる。で、母の住処となる場所、しばらくそこで落ち着いて生活できて、費用も母の年金と少しだけの貯金から賄える範囲で。医療関係も安心してお任せできる所。
意外と難しいのが、同じ認知症の人対象でも、ほぼ動かない人たちが多い所と、自分で外出も出来て洗濯も出来る人対象と幅は広い。母は1人で外出は無理だけど、施設内は動いて人と喋ったりもしたい。更衣は手伝って欲しいが、お風呂は自分で入れる。とか、細かくして欲しい事を相談した。一番ひどかったのは話し始めた瞬間にうちでは無理ですね、と断られたのもある。
まあ、完璧な所はなく帯に短し襷に長し、でして最終的に見つけたのが、うちの家から車で20分くらい。週に3回お風呂に入れてくれて、毎日レクリエーションがあり、イベントも多い。個室は明るく清潔な感じ。の所に決めて母を連れて行った。
母の荷物は衣類と洗面用具、得意な習字の道具。
家具はテレビとゆったりした椅子、小引き出しと小さな箪笥のみ。
机いる?と聞いたら家具は少なくていいから要らないと言った。
ベッドと洋服ダンス、トイレの小さな棚はついていた。
カーテンは注文して、布団は1日80円でレンタル。持ち込みましょうか?と言ったら具合が悪くなって汚したりしたら困るのでレンタルを勧められた。冷蔵庫は管理が難しくて食べ物を腐らせたらいけないのでなし。食料は施設の冷蔵庫に預けられる。必要に応じて出してもらえる。
不満が全くないことはないが、とにかく安心安全に過ごすことが出来る。それが何よりと思いここに決めた。電話を掛けてみて、かからなくても、ああ、今はお茶の時間かな?とかレクリエーションしてるかな、と思うだけで心配する事はない。家にいる時は、電話が掛からなかったら、倒れていないか、具合が悪いのではないか?と心配ばかりしていたので、この安心がとてもうれしい。食事も口に合わないとしても、硬くなった食パンをコーヒーで流し込んでいた自宅に比べると雲泥の差。
ある日と食事は、焼き魚、卵焼き、おひたし、味噌汁に果物、と言う感じらしい。おいおい、足りないものを差し入れても良いが、お茶の時間にはコーヒー、紅茶、お茶、ジュース、カルピスと色々な注文にも受けてくれる(らしい)。
ま、しばらく慣れるのには時間がかかるかと思うが頑張って欲しいものだ。
早速歯医者さんから訪問診療の回数の確認の電話がかかって来た。歯医者は苦手みたいですが?といきなり診療を拒否したみたい。なので、毎週行ってもらって顔見知りになってもらう。口の中のケアも必要だし。
今日は雨だけど、お母さん買い物に行かなくても暖かい食事が食べられるよ。良かったね!
が、母が留守の間に家を掃除したりしていて、母が1人でいる間に色んな業者にいいようにされていた。クレジットカードも沢山出来ていたし、色々な有料のサービスが設定されていて、なんだか分からずにハンコ押してたんだなあ、と思った。引き出しの中にはチャージ式の鉄道系のICカードが10枚以上あり、出かける度に忘れては購入していた事がわかる。母は電車に乗って出かける事が苦にならない人で88歳まで仕事をしていたこともあり、「私は東京でも九州でも1人で行ける」が口癖。ひっくり返せば、母が迷子になるのは近所ではなくとんでもない所まで行く可能性がある。
入院前は認知症も少し進んで物を無くしては周りに当たり散らす、ということもありちょっと困った事になっていた。財布の中にお金がない!あんたが取ったでしょ!とか、鍵を誰かが隠して行ったから出かけられない、とか。
しかしながら、母が自分を失った訳ではなく。意思はきちんとあるし、感情も普通にある。よく世間が言う、あの人呆けたんとちがうか!ボケてしまったんだね!
これだけ認知症と言う言葉が世間に知られているのに、ちゃんと理解している人の少ない事か!認知症になったから全く何もわからない訳ではなく、大半はわかっている。記憶する力判断する力が少しずつ欠けていく、のがこの病気だ。
それは、誰しも多かれ少なかれあること。あ、携帯忘れちゃった!やだわー、忘れっぽくて、と思っているあなた。その携帯忘れちゃったが頻繁になり携帯はバッグのポケット!と書いても書いても行方不明になる。そして、携帯なんか持ってない!と言ったりする。
専門的には病状や進行の違いが色々あるし医学的には正確ではないかもだが、大抵そんな感じで進んでいく。記憶す留守の力がないだけで、大半は普通だったりする。美味しい物を美味しいと感じたり、楽しい事をして笑ったり。
あの人はもうボケてしまった、と人間ではなくなったみたいな言い方をする人がいるが、全く何もわからなくなった人もいるにはいるが、それでも気持ちが良かったら笑うし、不快ならしかめ面をする。
母は会話している分にはほぼ普通に見える。でも、一人で置いておくのは危険だと思い、施設に入所してもらうことにした。もちろん、本人にも話をして、お年寄りが安心して過ごせる住宅があるけど、どう?と聞いたら、まあ、お金が許すなら行ってもええかな、と言っていた。
そして妹と私とで施設探しが始まったのが7月の後半。
まあ、時代は高齢化社会に向かっているのか、そう言う施設はいっぱいある。病院は積極的に紹介してくれなくて、斡旋業者を教えてくれた。そこにも色々調べてもらい、自力でも調べて10箇所以上の施設を見て、検討した。本来なら利用者さんがくつろいでいるリビングに行って話とか聞ければ良いのだが、残念ながらコロナのせいでかなわず。お風呂は週に何回入れるか?部屋の広さはどうか?レクリエーションはどんな事をしているか、日々の過ごし方はどうか?食事はどこで作っているか?看護婦さんがいるか?訪問診療をしてくれるか?
施設には特別養護老人ホーム、介護老人健康施設、サービス付き高齢者住宅、介護付き高齢者住宅、グループホーム、ケアハウスと色々あり(まだ、他にもある)公の特養、老健の2つは費用は安いが、特養は介護3からしか入れず、老健は自宅に帰るための施設だから短期の入所になる。で、母の住処となる場所、しばらくそこで落ち着いて生活できて、費用も母の年金と少しだけの貯金から賄える範囲で。医療関係も安心してお任せできる所。
意外と難しいのが、同じ認知症の人対象でも、ほぼ動かない人たちが多い所と、自分で外出も出来て洗濯も出来る人対象と幅は広い。母は1人で外出は無理だけど、施設内は動いて人と喋ったりもしたい。更衣は手伝って欲しいが、お風呂は自分で入れる。とか、細かくして欲しい事を相談した。一番ひどかったのは話し始めた瞬間にうちでは無理ですね、と断られたのもある。
まあ、完璧な所はなく帯に短し襷に長し、でして最終的に見つけたのが、うちの家から車で20分くらい。週に3回お風呂に入れてくれて、毎日レクリエーションがあり、イベントも多い。個室は明るく清潔な感じ。の所に決めて母を連れて行った。
母の荷物は衣類と洗面用具、得意な習字の道具。
家具はテレビとゆったりした椅子、小引き出しと小さな箪笥のみ。
机いる?と聞いたら家具は少なくていいから要らないと言った。
ベッドと洋服ダンス、トイレの小さな棚はついていた。
カーテンは注文して、布団は1日80円でレンタル。持ち込みましょうか?と言ったら具合が悪くなって汚したりしたら困るのでレンタルを勧められた。冷蔵庫は管理が難しくて食べ物を腐らせたらいけないのでなし。食料は施設の冷蔵庫に預けられる。必要に応じて出してもらえる。
不満が全くないことはないが、とにかく安心安全に過ごすことが出来る。それが何よりと思いここに決めた。電話を掛けてみて、かからなくても、ああ、今はお茶の時間かな?とかレクリエーションしてるかな、と思うだけで心配する事はない。家にいる時は、電話が掛からなかったら、倒れていないか、具合が悪いのではないか?と心配ばかりしていたので、この安心がとてもうれしい。食事も口に合わないとしても、硬くなった食パンをコーヒーで流し込んでいた自宅に比べると雲泥の差。
ある日と食事は、焼き魚、卵焼き、おひたし、味噌汁に果物、と言う感じらしい。おいおい、足りないものを差し入れても良いが、お茶の時間にはコーヒー、紅茶、お茶、ジュース、カルピスと色々な注文にも受けてくれる(らしい)。
ま、しばらく慣れるのには時間がかかるかと思うが頑張って欲しいものだ。
早速歯医者さんから訪問診療の回数の確認の電話がかかって来た。歯医者は苦手みたいですが?といきなり診療を拒否したみたい。なので、毎週行ってもらって顔見知りになってもらう。口の中のケアも必要だし。
今日は雨だけど、お母さん買い物に行かなくても暖かい食事が食べられるよ。良かったね!
コメント
お母様、退院おめでとうございます。
退院なさって施設へ入居に踏み切ったご様子。こそまで辿り着くのは本当に大変な事だったとお察しします。かくいう我が家も母が脳出血で倒れて、半身付随になり、ホームでの生活を始めるまで、ありすさんがなさって来た事同様でした。しかも今はこんなご時世。施設見学も思うようにならないなんて大変過ぎます。
我が家は3年前でしたのでコロナもない時期でした。母が倒れる前に父が急死して納骨も済んでいなかったので、実家に私一人帰り、母の病院へ、父のお墓建立、納骨、リハビリ病院へ転院、退院後のホーム探し。今考えると、とんでもなくハードでした。医師や相談員やケアマネさんや皆さんの意見で、母を我が家の側へ連れてくるより、今まで生活していた土地で暮らさせる事にしました。そこから私の遠距離介護は始まりました。母も脳出血後認知症を発症する可能性が高いと言われていますが、お陰様で入居している方やスタッフさんとのコミュニケーション、私のビデオ通話、その他友人とのLINEにやり取り、毎日の脳トレで現状を維持しています。それでも忘れっぽい事が増えてきました。私も加齢によるもの忘れが多くなっておりますので、母の事をどうこう言える訳ではないのですが…。
ええ、分かりますよ。感情や意思ははっきり持っていますよね。人間でなくなるなんてことは断じてないですものね。
入居して馴染むまでは心配でしたが、今ではホームの主にようになっています。
すぐにお友達が出来ると良いですね。ありすさんのご自宅から車で20分と言う距離は羨ましいです。母も我が家の側のホームに転居と考える事がありますが、馴染んでいるホームからの転居は負担になるかと思って静観しています。まだ私と夫が動けますので。心配になるのは医療面でしょうが、おそらくありすさんのお母様の施設にも看護師さんや提携病院があるでしょう。何かあれば直ぐに連れて行ってくれると思います。母のホームは経営母体が総合病院なので、そこで色々お世話になっています。
(その病院にかかる時だけは送迎も付き添いもスタッフさんが無料でやってくれるんです)
お母様が施設で穏やかにお過ごしになれますように!
そしてありすさんもお疲れが出ませんように。
お疲れさまでした! これでありすさんも妹さんも一安心ですね^^
施設はどこも一長一短。話好きで可愛らしいお母さんのようだから、きっとお友だちもすぐできることでしょう。訪問の歯医者さんにも早く慣れてくれるといいですね。
お父さまのご病気から、ご逝去、お母さまの急病と本当に大変な事を乗り越えてこられましたね。すごすぎます。ていうか、神様って、ひどいよね。こんな目に合わせるなんてね。でも、ご家族で向き合ってちゃんと乗り越えて、今お母さまは平安に施設でお過ごしになってて、しあわせな事だと思います。すべてが、まるこさんのお母さまを思う愛情の賜物ですね。お母さまがお元気で楽しく過ごされますように。食料補給もほどほどにね。施設の食事も栄養のバランス考えてきちんとされてるんでしょうし。ご主人の事もありますしね。介護疲れって、知らないうちに心身蝕むって言いますよね。
早く馴染んで欲しいなー、と祈る毎日です。こんな所嫌やわ、とかぶつぶつ言ってますが、施設のブログに陶芸の茶碗に絵付けをしている母の写真が出ていました。自分たちで作ったお茶碗で、お抹茶立てて飲むんですって。色々考えてくれてるなー、と思います。