母の地域の敬老会のことだ。
尚歯というのは中国の白楽天由来の長寿を祝い老人を楽しませるイベントのよう。なんと、明治に始まり100回を超えている(第二次大戦と阪神大震災のときはなし)
昔は落語や演芸など小学校の講堂で催しがあり、お弁当も出てお土産に毛布をもらってくる、というパターンだった。祖父と祖母が足が悪くなってからも二人でえんやこらとそこは頑張って出かけて行っていた。あの当時は年寄りでも杖をついてとぼとぼどこへでも自力で行かなくてはいけなかった。祖父は75歳くらい祖母は82歳まで生きたが、晩年はかなりよぼよぼの状態だった。祖父が亡くなってから祖母は宗教にのめり込みその教会の人が日曜日にはタクシーで迎えに来ていたが、家族が連れて出かけるということはあまりなかったかもしれない。お医者さまは近所で往診に来てくれて簡単に診察して、まあ、お年がお年ですしね、静かに過ごしてください、みたいな事言ってさっさと帰って行った。整形だの、リハビリなんか全くない時代。祖父母は久々のお出かけを楽しんだようだ。
母の代になって(父は現役から引退してすぐ亡くなった)尚歯会は母の友達との楽しみの場となってみんなで集まって、コーラスを聞いたりブラスバンドの演奏を聞いたり。そして、お茶とお菓子をもらって記念品は徐々にシンプルになりここのところは梅干しだったり、佃煮だったりのようだった。
でも、それはそれで楽しいようで、お出かけの予定をカレンダーにつけて楽しみにしていたみたい。
今年もお知らせが来た。留守電にも、「お久しぶりですね、今年も尚歯会のお知らせが来ましたね。ご一緒したいと思ってお電話しましたよ」と残っていた。
留守電を頼りに母が体調を崩していたことと、元気に過ごしている報告をした。「そうなんですか。お大事にね」と言われた。
尚歯会は代理でも良いようなので、記念品だけ受け取ってお菓子なら施設に届けてみよう。
尚歯というのは中国の白楽天由来の長寿を祝い老人を楽しませるイベントのよう。なんと、明治に始まり100回を超えている(第二次大戦と阪神大震災のときはなし)
昔は落語や演芸など小学校の講堂で催しがあり、お弁当も出てお土産に毛布をもらってくる、というパターンだった。祖父と祖母が足が悪くなってからも二人でえんやこらとそこは頑張って出かけて行っていた。あの当時は年寄りでも杖をついてとぼとぼどこへでも自力で行かなくてはいけなかった。祖父は75歳くらい祖母は82歳まで生きたが、晩年はかなりよぼよぼの状態だった。祖父が亡くなってから祖母は宗教にのめり込みその教会の人が日曜日にはタクシーで迎えに来ていたが、家族が連れて出かけるということはあまりなかったかもしれない。お医者さまは近所で往診に来てくれて簡単に診察して、まあ、お年がお年ですしね、静かに過ごしてください、みたいな事言ってさっさと帰って行った。整形だの、リハビリなんか全くない時代。祖父母は久々のお出かけを楽しんだようだ。
母の代になって(父は現役から引退してすぐ亡くなった)尚歯会は母の友達との楽しみの場となってみんなで集まって、コーラスを聞いたりブラスバンドの演奏を聞いたり。そして、お茶とお菓子をもらって記念品は徐々にシンプルになりここのところは梅干しだったり、佃煮だったりのようだった。
でも、それはそれで楽しいようで、お出かけの予定をカレンダーにつけて楽しみにしていたみたい。
今年もお知らせが来た。留守電にも、「お久しぶりですね、今年も尚歯会のお知らせが来ましたね。ご一緒したいと思ってお電話しましたよ」と残っていた。
留守電を頼りに母が体調を崩していたことと、元気に過ごしている報告をした。「そうなんですか。お大事にね」と言われた。
尚歯会は代理でも良いようなので、記念品だけ受け取ってお菓子なら施設に届けてみよう。
コメント
なかなか素敵な集まりですね!
お楽しみ会みたいで楽しそうです。
お母様に是非記念日届けて差し上げてください。きっと喜ばれるますよ。
昔のように行かせてあげれたらなあ、と思いますが。本当に楽しそうなんです。
記念品届けて喜ぶのか、淋しがるのかどっちかなあ、と思うところです。